今村文  Fumi Imamura
  • home
  • works
  • exhibition
    • 2019見えない庭
    • 2018 水のない池
    • 2018 花と蛞蝓
    • 2018 CONTACT
    • 2016aichitriennnale cafe crown
    • 2016 AichiTriennnale yagihyou building
    • 2015芸術植物園
    • 2015見えない庭
    • 2015豊穣なるもの〜現代美術in豊川
    • 2014絵という肉体を持った幻
    • ALAproject no.7 今村文
    • 2011音楽と沼の波紋
    • 2009雨音のないしょの話
  • profile
  • statement
  • news
  • blog
  • links
  • contact

となりの庭

8/20/2020

0 Comments

 
Picture

​私は庭について考えます。作品を作ること、展示をすること、それぞれは庭を作る事に似ている。と思うからです。また私は庭を可変な個人であり、それぞれで境界を意識することであると考えます。庭という意識は他者との境界であり、とても強固なものです。庭を作ることよって私は自己を知り、他者と関係する。しかし、多くの苦しみは庭というその境界がある事によっても生まれていると感じます。身体は近くにあってもその人のことを遠くに感じることがあります。また、会ったことも無いのに、その人のことを自分の内側に感じることがあります。遠いのに近い、近いのに遠い。ということがある。その距離はお互いに同じではないけれど、なんとなくそこが境界になっている。

庭というのは意識です。どんなに私が庭として囲ったとしても、そこに住む植物や虫には境界などは無い。隣あって咲く花は意識の境界によって隔てられてはいるが、自分の庭の花は隣にも咲き、隣の花を飛んでいた虫もやってくる。花や虫が庭を越えて行き交うほど、境界は曖昧になってゆくのではないだろうか。花や虫を庭という意識が創造する現象であるとしたなら。想像して創造しなければ、庭には花も咲かず、虫も飛ばない。他者と私は相互に同じではない。私は他者にはなれないし、他者は私の心を知ることはできない。その当たり前のことを、受け入れ、想像することがコミュニケーションなのではないか。庭の境界は、無くすことはできないけれども可変であり、共有することもできる。「人間の真実の生活とは、常にただこの個の対立の生活の中に存る」と安吾は言います。

私は理解したい。相互不理解だとしても、他者を理解したいと願います。庭という境界を曖昧にすること。花や虫によって常に干渉し合うこと。それは他者との境界を越える為の一つのコミュニケーションではないだろうか。私は庭で花を育てて虫を呼びたい。例え独りよがりでも、理解するために。私の庭の花は全部あなたのものでもあるのだ。

0 Comments

お花のうらがえしなのについて

10/21/2019

3 Comments

 
Picture
私の作品はお花の絵です。これらは今年の7月に『見えない庭』というタイトルでインスタレーションにした作品の一部になります。形から判るとは思いますが、お花の絵を裏返して展示しています。この裏には水彩絵の具でお花が描いてあります。この展覧会は文化庁の助成を受けています。私はある考えからここでは作品を裏向きに展示しようと思いました。

古いお経に天女散華というお話があります。天女が散らした花を振り払おうとする舎利弗と天女の問答です。花は舎利弗の肩について離れません。花で着飾ることは戒律に背くことだと必死になる舎利弗に対し、天女は花そのものには善も悪もない。自然物であるそこに自分で想念を作っているから汚らわしいのだと説きました。対象をどう見るかによって、その意味はいくらでも変わってきます。私たちは常に主観で考え、それは必ず想念によって支配されています。

私は作品を人が作った自然物であると考えることがあります。作り手の主観や想念も、作品として提出された時一度その意味は失われ自然物になる。そこに鑑賞者が意味を見出していくことで作品は価値を持っていくのではないかと。ある人にとってはゴミであり、同時にある人にとっては至上の宝石である。作品を作るのは作家の主観や想念ですが、それとは違う次元でまた、鑑賞者の中に作品は作られていくのではないでしょうか。そして同時に鑑賞者自身の主観や想念さえも変えていくものなのではないかと。

だからこそ、私は表現における自由は、絶対に守られるべきものだと思うのです。現在日本における表現の自由は少しずつ奪われていると感じます。公益性と言う曖昧な言葉を建前に権力が芸術に介入している現状があります。表現が無限に自由で良いのか。様々な考えがあると思います。ある作品を見て嫌な気持ちになること、私もあります。しかし作品を見る目的が心地良さだけになってしまっても良いのでしょうか。作品を見る事はむしろその異常さによって、自分の価値観が揺さぶられること、思考を促される事に意味があるのではないかと私は考えます。芸術は正しさの基準ではありません。多数決によってその価値が決まるものでもありません。本来芸術は倫理を超えたところに価値が在り、時間を超えて、その時々で人々の心の中に価値が見出されていくものではないでしょうか。様々な立場、考え方、表現が現在という局所的な時間の中で、権力によって否定される事があってはなりません。それは思考の多様性を奪う行為です。誰に対しても、どんな考え方に対しても開かれ、平等であること。その最期の砦が芸術であると私は考えます。

裏返しのお花の絵は、権力によって奪われる思考の多様性を補うための表現です。

                                                 今村文

                                                2019年10月

*安曇野市での展覧会『交わるアート』展にて展示している「見えない庭の外の庭」という作品についての文章です。展示場所にも掲載させて頂いております。

『交わるアート展』
2019.10.22~11.4
10.23(火)、10.30(月)休館
安曇野市穂高交流学習センターみらい 展示ギャラリー
〒399-8303 長野県安曇野市穂高6765-2
主催:安曇野市ミュージアム活性化事業実行委員会事務局
tel 0263-71-2463

https://www.city.azumino.nagano.jp/site/mirai/37535.htmlhttp://www.city.azumino.nagano.jp/site/mirai/


3 Comments

冷蔵庫のうた

10/21/2019

0 Comments

 

​にんじんの
色が褪せても
愛でるよに
苦い思い出
愛撫する


憎しみに
悪魔と化したじゃがいもの
狂気の庭に唸る蠅


すきとおる
あなたのうそと
玉ねぎ半こ
ラップに包んで
捨てました

​

0 Comments

白ごはんのはみ出たおいなりさん

9/7/2019

0 Comments

 
てっちんはごはんのはみ出したおいなりさんみたい。

てっちんと暮らしてはや一年が経ちました。てっちんは猫です。明るい茶色ではんぶん白い。太っているのでぺたんと座ると大きなおいなりさんのようになります。1ヶ月だけ預かる予定で家に来たてっちん。まぁとりあえずもうちょっと、、まだいいかな。延びて延びて一年。最初は部屋の隅にずっと隠れていたてっちん。ある日おでこを撫でました。ある日スリスリしてくれて。ある日一緒に寝てくれました。小さい家の中に、私以外に温かくて柔らかい生き物がいるということ。怒ったりうれしそうだったりするのがいるということ。呼んだら、なんとなく答えてくれるということ。私の生活は少し変わりました。

昔喫茶店で働いていた時、お客さんと猫の話になりました。何かの流れで「猫ちゃんにごはんをあげないといけないですね?」と私が言うと、「猫にごはんをあげるなんて言うもんじゃない。猫は畜生なんだから"エサをやる"んだ。」と言われました。その人は猫を三匹飼っていました。奥さんは亡くなっていて、娘さんは遠くに住んでいました。一週間にニへん程、喫茶店にお茶をしに、お喋りにくる人でした。

私はてっちんにごはんをあげています。家から出られないてっちん。交尾のできないてっちん。ふわふわの温かい身体で私の手を包んでくれるてっちん。爪を立てるてっちん。小さな白い手で私を起こしてくれるてっちん。ぺろぺろしてくれるてっちん。私は友人が少ないので家に誰かくるということがあんまりないのですが、てっちんがいるとてっちんの飼い主が遊びにきてくれます。猫は家に居つくと言いますが、てっちんはちゃんと飼い主さんの事を覚えていて、「こんにちは」と声がするとニャッニャッと短く鳴きながら玄関まで出てきます。挨拶らしい。それからとっても気持ちよさそうに撫でてもらう。

てっちんてっちん。(本当はテリーちゃん)てっちんはいつまでお家にいてくれるのかな。私はてっちんと暮らしてる今が好きです。アルバイトとイオンの往復の毎日が割と好きです。でも執着はしたくないんです。猫にも人にも絵にも。私は幽霊でいようと思ったんです。私は私の幽霊だから。そうすればこの執着から離れる事ができるんじゃないか。


「私は今日も、起きて掃除して絵を描くのかな?」


「明日は仕事にいくのかな、お弁当はつくるのかな」


「帰ったら、てっちんを撫で撫でするのかな」


そうしたら、なんだかいろんなことが手を離れる気がするんです。執着しないで絵なんて描けるのか?絵を描くのは欲望です。でも描けるんです。私自身は執着してるから。見苦しいくらい。それをね、私は見ているんです。だから私の手は離れているんだと思いたい。強引でしょうか。ふわふわと浮かんでいるわたしがいて、てっちんのふわふわに顔をうずめる私がいる。

わたしは幽霊としてここにいて、ここで暮らしてる私を、てっちんを、見守っているんです。
0 Comments

台風とぶどうと新米おにぎりと

10/6/2018

0 Comments

 
Picture
甲府の銭湯で3日間だけ展示をしてきました。flowing  outという、去年から始まった展覧会です。企画したのは歩帆舎のおふたり。愛知トリエンナーレ2013でアシスタントキュレーターをしていた堀切春水さんと甲府の芸術祭の企画や音楽家など、幅広く活動している五味文子さんのユニットです。流れ流れて甲府にやって来た&帰ってきたおふたりは、ここで何かしようと歩帆舎を立ち上げたそう。けして大きな街ではないけれど、何かしたい人達がみんな繋がっていて、そこが何かある場所に変わっていく。そんな感じがとても楽しかったです。ふたりの人柄とやる気が人を惹きつけるのかなぁ。わたしは男湯担当ということで、堀切さんによんで頂きました。
甲府は銭湯文化が盛んな土地でしかも源泉を使っているので、お家にお風呂があっても行くんだそうです。ただそれでも最近は銭湯に通う人が昔に比べると減ってきているようで、廃業してしまう所も少なくないと。竹の湯さんも10年程前に廃業されてそのままの場所でした。歩帆舎さんが出会ったのにも色んなご縁があったそうなのですが、本当に素敵な空間でした。高い天井、使い込まれた大きな籐籠、柔らかくひかるタイル、明るくて風通しがよく、脱衣所から浴室まですーっと空気が抜けて行く。営業されていた頃もどんなに気持ちの良い場所だったんだろうと、展覧会場でまったりする人々を見て想像しました。堀切さんも五味さんも子育て中なのもあって、子どもたちが会場でごろごしたり、絵を描いたり、とたとた走ったり。おばあちゃんやお兄さんとお菓子食べたりお話ししたり。茹でたピーナツや甲州ぶどう、新米おにぎり、お赤飯。美味しいもの沢山頂きました。なんていうか、生活の延長線上に展覧会があるのがとても良かったんです。押し付けでもなく、良い展覧会をそこに作っていこうとしているおふたりの活動はとっても意義があることだなぁと思いました。

そんな素敵な空間で私は「水のない池」というタイトルで、浴槽の中にインスタレーションをしました。紙のお花と紙の虫で展示を作っていくのがとっても楽しくて、ずっとアドレナリンが溢れてて、頭がおかしくなりそうでした。空間と対話しながら作品を作ること。展示をして改めてそこにある磁場の大切さを感じました。展覧会というのは作品だけで作り上げるものじゃなくて、作品とその場所、人、社会、自然色んな全てとのの対話で作るものなんですね。
二日間で広い浴槽を埋めるのはかなりハードでしたが、遊びに行く感じでふらっと付き合ってくれたインストーラーの小柴さんを200%働かせて、やっとなんとか完成したのでした。ほんと奇跡。そう…実はこのところ制作が思うようにできてなかったのです...。けれどもそんな中でも、竹の湯さんの美しい空間と、漂う金木犀の香りと、戸川純と、神聖かまってちゃんと、ゆでちゃんの魔力で (銭湯の中でずっと聴いていた)、インスタレーションを作ってる最中は最高に楽しく生きることができました。ずっと自分に嘘をついているのが苦しくて、最近やっと正直に生きようと決めたんですが、それもやっぱり辛いことばっかりで。何をしたって私は駄目だけれど、でもこういう瞬間のために、生まれてきて良かったなと感謝しています。


嵐がきて、世界はゆさゆさ揺れている。
​秋と夏は行きつ戻りつしながら、無かったことにされていく


これからどんな気持ちでやってこうか、まだ決めてないけれど、せめていつも明るい気持ちで人に優しくできたらいいなと思います。


0 Comments

flowing out(甲府での展覧会) の為の文章

9/5/2018

0 Comments

 
Picture
お風呂には蟲が沢山出るんです。
私の住んでるお家はなかなかに古いお家なので、蟲の通り道が沢山あるらしく、どこからともなく色々な蟲達がきて心地良い住処にしています。夏場は電灯つけたらまず割り箸持って蛞蝓チェックです。石鹸と一緒に掴んだりしたらすごいへこみます。ヒルとかハサミムシもいます。でもゲジゲジは油虫を食べてくれるので逃します。水がある場所、あった場所というのはどうしても生き物が集まってくるようです。

銭湯という場所について、特に湯のないお風呂という場所について、そんなことから私が連想したのは水の無い池でした。そこには多分色んな蟲がいて、魚の死骸や水草の腐ったのがあるんだと思います。腐った水草の代わりに紙のお花、それから紙の蟲。水の無い池がイメージですが、私は寧ろ水を満たすように水の無い池を表現したいと考えています。

花や蟲には自我がありません。
けれども心はあります。科学的には花にも蟲にも感情は無いのだそうです。感情の無い者に心という存在を立証するのは難しいのかもしれませんが、私はあると感じています。私の思う心は頭蓋骨の中にあるものではないからです。心はどこの中にあるのでもなく、水や大気のように世界を満たいしている。そして私は胸の辺りでそれを感受しているだけだと。誰かに傷つけられた時、誰かを好きになった時、頭ってあんまり働いていないんじゃないでしょうか。喧嘩は拳でするものだし、恋は臓腑でするものだ。なんて。付属品みたいな頭。だから脳脊椎の無い花や蟲にもその器官は備わっていると思うのです。寧ろ自我のない彼らはとても純粋な、心だけの状態なんじゃないか。紫陽花の中で眠る蜘蛛とか、お風呂場で交尾する蛞蝓とか、夕暮れの蚊柱とか、見るとき私は憧れを感じます。私にとって花や蟲は心を感受して光る白熱灯のようなものです。その心の光で、お湯の代わりに銭湯の中を満たせたら、と思います。


Flowing out

竹の湯
山梨県甲府市中央5 丁目2-5)
2018年9月29日(金)~10月2日(月)11:00-17:00

​

0 Comments

よいもの

7/20/2018

0 Comments

 
良いものを作ろうとする意識は
良いことをしようとする意識に似ています。
良いものを作りたいと思うのは
良いことをしたいと思うのに似ています。
だから、良いものを作ろうなどと思わずに作らなければならない。
良いものを求めるくらいなら、悪しきものを。
ただ作らなければならない。それならもっと最悪なものを。究極の悪行は神さまに通じている。

0 Comments

上床下床経

6/21/2018

0 Comments

 
Picture
幼い子 おいでおいで話をきいて
昼は楽しくあそびましょう
夜はぐっすりねむりましょう
月あかりが美しい
夜明けまでやすらかに
寝ても起きてもお経を念じ
梅や桃が咲きひらく
この世は輝くばかりに美しい
その真ん中に観音さまがいらっしゃいます
人から災いが離れ
災いが人から離れます
そしてこの世の苦しみ悲しみすべては
煙のように消えてゆくのです

0 Comments

なにかしら/ないけど

5/9/2018

0 Comments

 
かみさまのおはか

きおくのおはか

チビーリンのおはか
ふみちゃんのおはか

わすれる

uのお墓、みずいろ、あお、みず
0 Comments

白い椿、他人の話とこころの所在

4/19/2018

0 Comments

 
Picture
おばあちゃんの椿咲きました。
白鳥の羽根のように重なった花びらの大きな椿。
Picture
個展それから黒部市美術館での展示終わりました。遠いところから来てくださった方もいてうれしかったです。ありがとうございました。

この1月から3月は愛知、富山、金沢、東京と立て続けに展覧会とワークショップとしていまして、気付けば私は旅人でした。行く先行く土地懐かしい人や友人に会いました。10年前は近くにいても知らなかった人に今になって出会うこともありました。ご縁というのでしょうか。沢山の人に会い沢山の物語をききました。悲しい話も温かい話もあって、私は私の中がその沢山の物語で作り変えられてゆくような、不思議な気持ちになっていました。そう、なんというか私の心はゆらゆら揺らめく水面で、その上に物語が映り込んでは消えてゆくような。人びとの物語で私の心が作られていく。それは旅人である、そこに真に存在していない者という立場による現象なのかもしれません。
しかし本来個人というのは固い不変の彫像ではなく、刻々と移ろいゆく不定形なものなのではないでしょうか。

旅を終えた今もなお私の感情は沢山の物語によって生まれていると感じます。 それは私個人の物語ではなく私の側で語られた彼や彼女の物語なのかもしれない。私の知らない誰かの話。他人の話。私が耳を傾ける間に私の中に染み込んでいた。
紅茶が水を飴色に染めるように、確実に。そんな事を考えていると、私の心や感情というものも本当に私のものではないような気がしてくるのでした。
0 Comments
<<Previous

    Author

    Write something about yourself. No need to be fancy, just an overview.

    Archives

    August 2020
    October 2019
    September 2019
    October 2018
    September 2018
    July 2018
    June 2018
    May 2018
    April 2018
    February 2018
    October 2017
    May 2017
    April 2017
    March 2017
    February 2017
    December 2016
    August 2016
    May 2016
    February 2016
    September 2015
    August 2015
    March 2015
    November 2014
    October 2014
    August 2014
    May 2014
    March 2014
    January 2014
    November 2013
    September 2013
    August 2013

    Categories

    All

    RSS Feed

Powered by Create your own unique website with customizable templates.